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  • 執筆者の写真尚玄

うっとうしい季節☔️


前回お彼岸の記事を書いて、来月はもうお盆。サボりすぎました😓


今年も梅雨入りしましたね🐌、、、、

ジメジメとしたうっとうしい季節です。


先日、ジメジメする前にと、浴室の掃除をしました。

目に見えるところは徹底的に掃除をしたはずなのですが、、、

昨日浴室にはすでに少しカビが生えていました😱

湿度が高いおかげでカビもだいぶ繁殖しやすいようです。


調べてみると、カビ菌は少しでも胞子が残っていれば、

目に見えないくらい綺麗にしたつもりでも、しつこく生えてくるそうです。

誰もがこの時期になると、エアコンであったり浴室であったり、

様々なところで悩まされたことがありますよね💧


実は私たちの心にも、カビの性質に似たものがあります。

それが、「煩悩」です。

誰もが生まれた時から抱えているもので、

この煩悩によって、幸福を感じたり、苦悩を抱えたりと

仏教では「煩悩」によって振り回されて、

真実を見ることができないのが私たちを「凡夫(ボンブ)」であるといいます。


私たちはその煩悩を簡単になくすことはできません。


そんな私たちでも、仏様の教えを聞かせていただくと、

仏様の智恵に照らされて、自分中心の邪(よこしま)な生き方であったと気付かされます。

その時は少しばかり、「こんな自分ではいけなかった」と

煩悩は制御されているようですが、

少し仏様の前を離れると、すぐにまた、自分中心な心が沸き起こってしまいます。

そして気づいた時には自分のことばかりで頭のどこか奥へ、、、、


私たちは命終えるまでこの煩悩を完全に絶つことができないのです。

絶てたと思っても、それはただの錯覚であって、わずかでも煩悩が残っている限り、

何度もなんども、カビのようにしつこく沸き起こってくるのです。

こんな厄介なものを、誰もが抱えているんです😩


だからこそ仏様の教えを聞くことを重ねて、

自分中心の心にブレーキをかけてくださる仏様を、よりどころとするのです。

なくすことはできないけれど、こんな自分であるんだということを自覚しなければ

仏様の温もりに触れることはできません。

こんな自分であるからこそ、救いたいと思ってくださる方がいるんです。

それが阿弥陀様という仏様です。


私たちは「生きていることがいいこと、死んでいくことがダメなこと」と、

生死を別のものと考えてしまします。

本来は、紙に裏表があるように、生死も表裏一体で、

生まれた瞬間から命の終わりへと歩んでいます。

だからこそ自分の命がどこに向かっているのか、

命終わったらどうなるのか、、、

そのことに目を向けずに、目の前にあることにしか目を向けず、

その都度その都度、自分中心な心に振り回されて生きています。


真実を知ることなく、迷っていることにすら気づいていない私たちの有り様です。


その有り様を私たちに知らせ、命終えたとき、その煩悩抱えたままの私を必ず仏にすると

約束くださる阿弥陀様は、

「命の終わりは、お別れではない。また会える世界に生まれていくことなんだ」

と、私たちに大切なことを教えてくださってます。


そんな大切なことを、何度聞いても忘れてしまう私に、

仏様もまた、しつこくしつこく、伝えてくださっていました😇


仏様の前に座る時間を大切にして、

仏様の智恵に自らの姿、有り様を訪ねて行く生き方をしたいものですね。🌞





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